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うろこぐも [空]

もう秋なんですかね…。
気付けばお盆休みも終わりそう…。
ああ…、だって今年もあと4ヶ月ちょい…。
私の、会社でのイライラは臨界点間近。
髪の毛なくなるわ。
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終戦記念日なので自分にも向けて覚え書きを。
今朝テレビを見ていたら突然祖母が「線路を横切ったんだよ…」とか言い出して
何言い出してんだと思ったら、
「お前の父親を背負って線路を横切って、
 ずっと向こうの方の農家の人に大根の葉っぱを貰いに、
 貰いにって云っても、まぁ買いに行ったんだけどな、
 それからまた帰って来たら、なんか放送するから聞けとか言うんで、
 ラジオを聞いたんだけどな、全然雑音だらけで聞こえなくて、
 放送が終わった時に近所の人と何言っていたか聞こえたか?とか話してて、
 でもなんか戦争終わったっぽいぞって話になって、良かったなと思った」と。
だけどやっぱり米兵が来たら男は殺されるし女は強姦されると言われていたって。
ソ連が来てたらそうなっていたぞと。アメリカで良かったと。
その後やって来たアメリカ人は、お風呂の火を焚くばあさん(ウチのではなく)の
吹いていた竹筒を見て『oh〜!火を噴く棒ね!オリエンタルマジーック!!』って
思ったらしく、そのばあさんと『くれ!』『ダメだ!』の押し問答の末、
強奪して行ったらしい…(笑)
その話、おじさんに聞いた時も超笑ったんですが、
こんな山の奥にまで進駐軍が…ってのにも驚きでした。

ウチなんか田舎だから、都市の方よりは穏やかだったろうと思っていましたが、
食べる物には苦労したけれど、皆が悲惨だったから平気だったと。
兵役検査で丙種だった祖父は、祖母の爺様のやっていた軍需工場の主任をしていたとか
曾じいさんは近衛兵の騎兵だったとか(でもそりゃ日露戦争の頃だろと)
祖母は多分それをちょっと誇りに思っているらしいとか。
(親戚にも近衛兵がいたが、そっちは歩兵だったと毎回言う(笑))
でもその曾じいさんも祖母が5歳くらいの頃に腹膜炎で亡くなって、
殆ど記憶もないそうだから憧憬みたいなもんなんだろうとか。
そんなこんなで軍服着た遺影なもんだから、
幼少時は戦争で死んだんだろうと思っていました曾じいさんの事。
その後は父に『煙草の吸い過ぎで死んだんだ』と意味不明な入れ知恵をされ、
『えーっ、戦争じゃないのー!?』と謎に思った事とか(しかも死因も違うし)
よもや生まれた頃からその元軍需工場の向かいに住んでいたとは!とか。
それが中越地震でガラス割れたり壁が崩れたりして赤紙貼られた危険家屋となり、
私の悪夢に登場するとは!とか(苦笑)
あれ?話ずれずれじゃん(笑)

だけれど、じいさんや曾ばあさんが生きていた頃に戦争の話を聞きたくても
子供の頃じゃ問う言葉を持たなかった。
今なら色々聞けるのに。
取り敢えずばあさんから色々聞いとくかな。
しかし叔母曰く『戦争を体験したのにこの軽さ』と評されている我がばあさん。
まずは騎兵で馬に乗っている曾じいさんの写真を探し出してもらおう。

戦後初めて女性にも参政権が貰えた時、どこに入れようかって話になって、
共産党だけが『お前さん達の息子は兵隊にやらない』って言っていたんだそうで、
共産党に投票したのは後にも先にもその時だけだったな…とも言っていました。
女の人は随分入れた様ですよ。

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